企画:広報委員会
日時:3月15日必着
5月17日は母の日、その存在への想いはそれぞれ。このたびはお母様にまつわるエピソードや大切な思い出、心あたたまる素敵なメッセージをお寄せいただきました。会員読者の皆様ご応募ありがとうございました!
「母の日」に寄せて寄稿いただいたエピソードを、1つずつご紹介していきます。
「母の思い出」6年間毎日持たされた「卵とじ弁当」
大正5年生まれの母は公務員で、祖父母は自営業で同居しておりました。
私が子供の頃から通いのお手伝いさんがおりましたが、母が早起きして私の弁当を作ってくれたのが「卵とじ弁当」でした。ご飯の上に「人参・椎茸・ホウレン草・青ネギ・蒲鉾」を甘辛く煮て卵でとじたものでした。ふんわりとした卵に各種の野菜の味が染み込み蒲鉾の歯ごたえとともにたまらない食感を味わうことができました。蒲鉾は佐渡の近海でとれた魚を加工したもので白地に表面を赤色で染めた「日の出蒲鉾」と呼ばれ、まさに「日の出」を思わせるものでした。弁当の蓋を開けると食材の色合いが美しく味とともに食欲をそそるものでした。この「卵とじ弁当」が中学、高校と6年間続き母がどのような気持ちで毎日同じ弁当を作っていたのかを存命の時に聞いておけば良かったと思うことがあります。母が考えた栄養と手軽さから作られたものと思います。豊富な栄養、飽きない食味でした。
中学2年生の時に中学校が統廃合され、農家生まれの友達とクラスが一緒になりました。その友達は白いご飯に梅干し、いわゆる「日の丸弁当」を持ってきて新聞紙で隠しながら食べておりました。この話を農家で生まれた夫に話すと自分達もそうだったと懐かしんでおりました。アルミの弁当箱の蓋の真ん中に梅干しの酸で穴が空いたことやクラスのほとんどが新聞紙で隠しながら食べたことを笑いながら話してくれました。戦後の復興期、社会全体があまり豊かでなかった時代の象徴が子供達の弁当にも現れたのではないでしょうか。
寒い佐渡の冬には教室のストーブを囲んだ金網で作られた棚でクラス全員の弁当が温められました。お昼近くになると様々な匂いが漂い始め、「卵とじ」の匂いを感じた友達が「〇〇ちゃんの弁当の匂いだ」と言われたこともありました。私の弁当と交換してくれとせがむ男子もおりました。80歳近くになる今も懐かしく思い浮かべます。その母は100歳で亡くなるまで明るく強く生き、私にとっては手本のような存在でした。そして、私の味覚は母から受け継がれたと思う今日この頃です。
えこ
