『小木おけさ』・『小木音頭』に想う

暮らしのヒント

湊ふじ丸(東京新潟県人会会員)

♪ハーァ〜矢島 経島 小舟で漕げば〜 波にチラホラ 御所桜〜♪

『小木おけさ』は「佐渡おけさ」の元歌、原点とも言われ歌い継がれて来た民謡です。金銀の積出港として栄えた江戸時代に北前船の船乗りが九州から運んできた‟ハンヤ”節が“小木ハンヤ”に変化し、節回し、歌詞やお囃子、踊りを改良し小木の芸者が座敷踊りに振付して、現在も残る「小木おけさ」になったと言われています。
佐渡の玄関口「小木港」は慶長十九年(1614年)小木町を開き渡海場に定められ、北前船の船乗りにとっては小木の港に立ち寄る事は小木の芸妓には美人が多く、且つ芸達者揃いで、想う芸妓に逢える楽しみがあったのではないでしょうか。

♪ハア~尽きぬ 名残りをおけさに込めてそっと見送る 小木港〜♪

小木地区では「おけさ」といえば『小木おけさ』に決まっていて、盆踊りや八月末に開催される「小木港祭り」で盛大に踊られるのが『小木おけさ』です。
北前船の寄港地、佐渡金山の積出港、人々の交流の出入口として栄え、これらの背景に数多くの民謡、民芸が生まれてきました。
その小木地区には私の知っているだけでも『小木おけさ』、「小木甚句」、「小木音頭」、「小木追分」と素晴らしい民謡が沢山あります。
『小木音頭』の歌詞は「源平軍談記」初段の「宇治川先陣(旭将軍木曽義仲)」を歌っています。

♪嘉肴(かこう)を食わずして酸いも甘いも その味しれず〜♪

「小木音頭」は小木の“おその”という芸妓が「相川音頭」の武士的な踊りに対して庶民的な踊りに振付けたものと伝えられています。
曲調、菓子共に「相川音頭」と同じですが、昔は「相川音頭」の野外で、「小木音頭」は座敷用であり、お座敷芸として踊られた事も影響し、ゆったりとした曲調と優雅な踊りに代わって行ったようです。

♪武芸有ても 治まる世には 忠も義も その聞こえ無し〜♪

『源平盛衰記』は初段から五段まで有り、初段は「宇治川先陣」、二段は「巴(ともえ)の勇戦」、三段は「那須の余市扇の的」四段は「継信の死」五段は「義経弓流し」と構成されており「平家物語」巻第九から十一までに記された合戦が材料であると言われています。
佐渡で生まれ育った人ならば、必ず何処かで「佐渡おけさ」を歌い、踊り、故郷への想いを馳せ、元気付いた経験があるのではないでしょうか。
その原点が『小木おけさ』なのです。
『小木おけさ』を無くしては「佐渡おけさ」を語ることは出来ません。
今私の住んでいる首都圏で、『小木おけさ』、「小木音頭」を継承している「関東〇〇会」の中の「小木おけさ愛好会」のグループ活動が、コロナ禍で中断し、メンバーの高齢化により活動が出来ず、残念ですが解散されたと聞いています。
このままですと首都圏で「小木おけさ」・「小木音頭」を楽しむ機会が無くなってしまいます。
どうか、これからも皆さんと共に『小木おけさ』を「小木音頭」を一緒に踊り、楽しんで行きませんか。

♪ハーァ〜誰が唄うか おけさのぞめき 小木の港の 夜が明ける〜♪


佐渡出身者以外の方でも大歓迎です。
何とか首都圏で『小木おけさ』・「小木音頭」を存続したいと思っています。

♪ハーァ〜泣いて別れた あの娘が恋し 湊小木町 恋の町〜♪

以上 『小木おけさ』の歌集より