企画:広報委員会
募集期間:4月30日(木)まで
今年の父の日は6月21日です。「父」によせる思いは、皆様それぞれにおありと思います。
本記事では、写真家・その江氏にご執筆いただいた文章をご紹介いたします。
「難病が教えてくれた愛 ―父と私の物語―」
油絵の匂いの記憶
こどもの頃、父がキャンバスに向かう膝の上で、いつも一緒にクレヨンを握りながら父をまねして絵を描いていた記憶がある。アトリエの片隅で、幼い私はただ父の横にいたかった。部屋の中には筆洗油のシンナーに近い匂いが広がり、いつしかその匂いが懐かしい記憶と重なっている。
あの頃の静かな時間が、私にとって父と最も近かった瞬間だったのかもしれない。

すれ違った親子の歳月
若き日の父は小学校の教員をしながら、新潟県内の図工美術の世界を向上させるべく粉骨砕身の努力をしていたことだろう。しかし、そういう父親にありがちなことで、家庭をあまり顧みない姿勢に、厳格で公務員だらけの親戚中からは変わり者のレッテルを貼られ、随分と居心地の悪い想いをしていた。
家にいることが耐えられなくて、毎晩遅い帰りだった。
私には優しく甘すぎる祖母だったが、父にはひたすら世間体を重んじ、それを押し付けてくる人だった。
嫁である母はそれに付き従い、幼い私も父は放蕩息子であるという祖母の話をうのみにして、そんな父にがっかりしていたのを覚えている。
家庭内のいびつな状況に、いつしか精神的に追い込まれ、一番大切な絵を描くことが出来なくなってきたとき、アトリエを持つことを決めて父は家を出た。家長である祖父が死ぬまで、その生活は続いた。
私は父に少なからず反発を覚えつつ、美大に進んで東京に出た。そして、いつしか写真家となった。祖母が亡くなってからは新潟に帰ることも極端に減り、両親を顧みない生活を続けてしまっていた。
死の淵で届いた詩
2023年、私に転機が訪れる。
コロナ禍で仕事が激減し、生活が苦しく、重なる過度なストレスに、私はとうとう難病になってしまった。
徐々に手が上がらなくなり、そのうちご飯を飲み込むことさえできなくなった。重症筋無力症。自己免疫疾患により筋肉が動かなくなる病気である。現在は奇跡的に助かり、睡眠さえしっかりとれれば薬で抑えられている。生かされた命だと実感しながら、以前より意欲的に動いているくらいだ。
しかし倒れた時は、心停止まで至った。今こうして生きていることは、本当に奇跡的である。一度、心停止しましたと電話が入った時の父の心境はいかばかりだったか。本当に親不孝ものである。
4か月半の入院中、愛する父からの詩が何度も送られてきた。人工呼吸器や山のような管につながれ、話すことも出来ない中で、それを読むたびに、生きていてよかったと涙があふれて止まらなかった。

生かされて知る父の愛
今、父と心から思いあい、話すことができる。
新潟市に、こどもが自由に創造できる施設を作り、こども文化育成会を立ち上げ、こどもへの愛だけを考えて奮闘してきた父。宇宙の叡智、神の愛の本質を理解し、それを次の魂につなげていくことを、絵を通して伝え続けている父。利他の愛に溢れる父を知ることができたのも、死を体験したからこそだと思うと、神の采配に心から感謝の念が沸き上がる。
ある時、父に問いかけた。お父さんの手はいつか曲がっているの?すると父は静かに答えた。絵を描き続けていたら、いつのまにか筆を持つ手の形になったんだよ、と。変形してしまうほどの年月、絵筆を持ち続け、人の魂のありようを、愛の形をキャンバスに描き続けた手。その手に、父の長い人生の重さを感じた。
せめてこれからは、尊敬する父の良き理解者として、そばで恩返ししていきたい。ただ、祈るのである。
(広報委員 その江/会報誌:2026年5月号掲載)
画家/教育者 高橋順男プロフィール
1939年新潟生まれ。
長年にわたり新潟県内で教員として勤務後は創作活動に専念しつつ、油彩画を中心にこどもの創作活動支援や指導を精力的に行う。
二科会会友・二科新潟支部顧問
新潟市美術協会会員
新潟県美術家連盟会員
一般社団法人こども文化育成会理事長
フリーアート主幹・ビッグスクール主幹
高橋順男 公式サイト
写真:その江


