新潟ギャラリー

暮らしのヒント

黒崎 勇(出版人)

黒崎 勇氏は、大正9年に現在の小千谷市で生まれました。講談社の「少年社員」として出版人の道をスタートさせ、後に『女性自身』創刊編集長となり100万雑誌に育て上げた伝説の編集者です。
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式場 隆三郎

式場隆三郎氏は、新潟医学専門学校を卒業後、市川市国府台に式場病院を設立しました。彼は芸術創造活動と人の精神的問題に関心を持ち、知的障害を持つ画家である山下清氏の才能に注目しました。障害児教育に多大なる影響を与えた式場氏は、1965年に67歳で亡くなりました。
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池田 恒雄

出版人・池田記念美術館創設 池田 恒雄 氏(1911~2002)は、明治44年5月、小出町(現・魚沼市)で生まれる。旧制・小千谷中学を経て早稲田大学に進む。昭和12年(1937)、『野球界』編集長に就任。戦後、昭和21年(19...
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新井 満

新井 満(1946 ~ 2021)氏は、昭和21年5月7日、新潟市で生まれる。新潟市立寄居中学、新潟明訓高校、上智大を経て、電通に入社。映像プロデューサーとして活躍。
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杉本 鉞子・作家

明治6年、長岡藩の家老の娘として生まれ、武士の娘としてのきびしい躾と教養を身に付ける。東京のミッションスクールで学び、明治31 年(1898)4月(25歳)、単身渡米。現地で、貿易商・杉本氏と結婚。大正14年(1925)、ニューヨークで、英文の『A DAUTOR of the SAMURAI』を出版。無名の一日本女性のこの半生記は大きな話題となり、一躍、ベストセラー
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石山 賢吉・出版人/経済ジャーナリスト

石山 賢吉(1882 ~ 1964)氏は、明治15 年1月2日、西蒲原郡曽根村(現・新潟市西蒲区)で生まれる。母の実家のある白根町で育ち、22歳で上京。明治39年(1906)慶応義塾大学を卒業。野依秀一氏の知己を得て、経済ジャーナリストの道を歩む。
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星 襄一・木版画家

星 襄一(1913~1979)氏は、大正2年9月27日、北魚沼郡小出町(現・魚沼市)で生まれる。県立六日町中学(現・六日町高校)を経て台湾にわたり、台南師範学校を卒業し、13年間初等教員を務める。終戦後、郷里に帰り版画独習し、武蔵野美大に入学、昭和31年(1956)卒業。以後、木版画家(日本版画協会、国画会会員)として作品発表。
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渡辺 義雄・写真家

渡辺義雄(1907~2000)氏は、明治40年4月21日、南蒲原郡三条町(現・三条市)で生まれる。1928年(昭和3年)、東京写真専門学校(現・東京工芸大学)卒業。1930年、「新興寫眞研究会」(木村専一主宰)に参加。ドイツの新しい写真表現・新即物主義に強い影響を受ける。以後、写真作家として都市生活のモダンな風俗、各種建築写真などを発表。
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前川 國男・建築家

前川 國男(1905~1986)氏は、明治8年5月14日、新潟市中央区学校町通2番町で生まれる。1928年(昭和3年)東大建築科を卒業、渡仏してル・コルビュジェに師事。戦後モダニズム建築の旗手として、日本の建築界をリードした。
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松岡 譲・小説家

古志郡石坂村(現・長岡市)の真宗大谷派、松岡山本覚寺に父善淵、母ルエの長男として生まれる。名は善譲(後に自ら改名)。明治37 年長岡中学校(現・長岡高等学校)に入学、後に詩人となる堀口大学は5年間同じクラス。明治43年第一高等学校(現・東京大学教養学部の前身)文科に進学。同級には芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、成瀬正一らがいる。
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富岡 惣一郎・画家

富岡 惣一郎(1922-1994)は上越市高田生まれ。雪が作る白く美しい景色を幼い頃から見て育ち、それが原風景として心に刻まれている。試行錯誤して自ら開発した白油絵の具「トミオカホワイト」と、刀鍛冶に特注した長大ペインティングナイフで描いた純白の雪景色は清澄な輝きを秘めた独特の世界がある。
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十二支スゲ細工・伝統工芸品

妙高市平丸地区で作られているスゲ細工は昭和33年から農家の冬の収入源として作られてきた。過疎と高齢化で職人は見る見る減少。2人いた最後の職人が平成30年に引退。一方、伝統を絶やしてはならないと平成27年NPO法人スゲ細工保存会が発足。作...