特別企画「母の日」によせてⅢ

会の活動報告

企画:広報委員会
日時:3月15日必着

5月17日は母の日、その存在への想いはそれぞれ。このたびはお母様にまつわるエピソードや大切な思い出、心あたたまる素敵なメッセージをお寄せいただきました。会員読者の皆様ご応募ありがとうございました!

「母の日」に寄せて寄稿いただいたエピソードを、1つずつご紹介していきます。

料理上手な母

母は赤ん坊のとき、親が忙しかったので、子守りを雇い子どもをみてもらっていたようです。その若い子守りがある時、やかんに入ったままの熱湯を母に飲ませたのです。それで喉の奥にひどい火傷をおい死ぬ思いをした、と後年になってから聞きました。そういえば私の物心ついた頃の母は、固形物を一切食べませんでした。喉の奥が狭くなっていて、食べたくとも食べられなかったのです。それでも5人の子を産み育てたのですから、大したものだと思います。

そうした母でしたが、人に料理を振る舞うのが大好きな人でした。得意なのは昆布巻で、北海道産の昆布を一枚ずつ丁寧に洗い、一晩水に浸けるのです。その作業を夜遅くまでやっていました。それで翌日みがき鰊を巻いて、コトコトと何時間も煮ていました。夕飯に出るその昆布巻が私は大好きでした。それと母の揚げるトンカツは最高でした。カリッとしていて油っぽくないのです。近所の人にも好評で昆布巻や揚げ物をよく頼まれていました。

父は教育熱心な人でしたが、母からは「勉強しなさい‼」とは一度も言われたことがありませんでした。母は、子どもには高級な物でなくとも、自分が心を込めて作ったものを与えることで、体が丈夫に育てば勉強も自ずと身につくものだと考えていたようです。私もそれに習って、子どもにはなるべく手作りのものをと思い今日までやってきました。

母は13年前に98歳で亡くなりました。眠るように静かに逝ったと弟から聞きました。その2か月前に帰省し、母に会いましたが、頭はしっかりしていて、東京から行った私に、ありがとう、ありがとうと何度も嬉しそうに言いました。私は母の手を握りながらこれがお別れになるかもしれないと心の中で思ったものでした。

今も母の数々の料理を思い出し、現在健康でいられるのも幼少の頃からの母の心を込めた料理のお陰だと思っています。

細井ミツ子