特別企画「母の日」によせてⅠ

会の活動報告

企画:広報委員会
日時:3月15日必着

5月17日は母の日、その存在への想いはそれぞれ。このたびはお母様にまつわるエピソードや大切な思い出、心あたたまる素敵なメッセージをお寄せいただきました。会員読者の皆様ご応募ありがとうございました!

「母の日」に寄せて寄稿いただいたエピソードを、1つずつご紹介していきます。

「父の日」特別企画の記事はこちらから!

私は7人兄弟の6番目で、いつまでも母に心配をかけていました。

翻ってみますと、小学校高学年、中学校、高校の頃、私の家は農家で学校を終えて家に帰ると、爺ちゃん、婆ちゃんが「今日は田んぼへ行きな」「畑へ鎌を持って行きな」と言われます。私も遊びたい盛りですが、その時間が有りません。ある時私は友達と遊びたくて行きませんでした。晩御飯の時に父から雷が落ちました。「何で来ないんだ」と一喝です。「俺だって遊びたい」と言っても聞き入れません。

この頃はどこの家でも子供は家の手伝いが当たり前だったのです。私は父に反発して家を飛び出しました。すると母が家の裏の塀に隠れている私を「よし、よし」と迎えにくるのです。何度も母になだめられて晩飯を食べた事があります。それからは母に心配をかけないようにと、少しずつ考えるようになりました。

上京して独立して店を持ち、子供も出来てから「子をもって親の恩を知る」で母の有難さが解りました。厳しい父の傍で母がバランスを取っていてくれたのです。東京の兄、姉、私と「母に上京するように」と声をかけていたので、母は何度も東京に遊びに来てくれました。帰りは母が心細い思いをしないように、新幹線で燕三条の出口で兄に渡し、とんぼ返りで東京に戻りました。母を連れて、はとバスに乗り東京見物、熱海の大野屋で宿泊して伊豆大島へ渡ったり、義兄の運転で富士山へ行ったりしました。大腿部骨折の時は新宿伊勢丹で押し車を買って送りました。「兄弟姉妹で一番心配をかけた、親孝行しなくては」の思いが強く脳裏にあったのです。そのせいか母が天寿を全うした時は、不思議と涙が出ませんでした。

幼少の頃、私が悪さをしても一度も怒られた事は有りません。諭してなだめてくれた優しい母でした。

「お袋、あなたに育てられて今日の私が有ります。ありがとうございました。」

寄稿者:大島 芳昭