戦争花嫁と上皇后美智子様

暮らしのヒント

東京村上市郷友会 安冨 成良

 戦後、進駐軍兵士と結婚してアメリカに渡った「戦争花嫁」と呼ばれる方たちのことを研究するようになって20年少し経ちます。私は1976年に高校の英語教師を退職して、アメリカに留学し文化人類学を専攻しました。「戦争花嫁」の研究をするようになった直接のきっかけは、大学の長期休暇中にロスとロス近郊のロングビーチのピアノバーで趣味のピアノ弾きのアルバイトをした時に、戦争花嫁のお客さんたちと知り合ったことによります。

 現在では「国際結婚」として広く受け入れられている外国人との結婚ですが、当時は「敵国だった国の人との結婚」「夜の商売を通して知り合っての結婚」等という偏見の目で見られることが多く、戦争花嫁さんたちは非常に辛い思いをしてアメリカに渡った方も多かったようですし、渡米後も言葉や文化の違いで苦労をなさった方も多かったようです。


【写真】平成21(2009)年12月4日JICA 横浜 海外移住資料館での企画展「海を渡った花嫁物語」に上皇后陛下の美智子様にご行啓を頂いた時の写真です。右から後ろ姿の日本女子大学名誉教授の島田法子先生、美智子様、安冨、そして津田塾大学前学長の飯野正子先生です。

 シアトル在住のスタウト梅津和子さんは1984年に、毎年日本で開催される「海外日系人大会」に参加した際に、東宮御所での「お茶会」に招待され、当時の皇太子妃の美智子様から、「言葉も習慣も違った国で、皆々様、ご苦労なさいましたでしょう。皆さんにご苦労様でした、感謝しています、とお伝えください」とのねぎらいの言葉をかけていただいたとのこと。

 このお言葉を何としても同じ苦労をしてきたみんなに伝えたい、との思いで、全米各地に散らばった戦争花嫁さんに色々な手段を用いて連絡し、1988年にワシントン州の州都オリンピアで「戦争花嫁渡米40周年記念大会」を開催し、320人が集まったその大会で美智子様のお言葉を伝えました。

この大会後、スタウトさんは全米組織の戦争花嫁の会を立ち上げ、年数回発行するニューズレターを美智子様に送り、美智子様との交流が始まりました。

 拙著『アメリカに渡った戦争花嫁~日米国際結婚パイオニアの記録』(明石書店、2005年)で共著者でもあるスタウトさんが美智子様とのその後の交流について4編ほどエッセイを書いていましたので、誤記があってはならないと思い、美智子様の第一秘書的なお仕事をなさっている濱本松子女官長さんとコンタクトを取り、最終的には美智子様ご自身が修正箇所を赤字で修正して下さいました。

 出版後、アメリカ研究の大御所で埼玉大学大学院の恩師が天皇皇后両陛下へのご進講と夕食に招かれたとき、スタウトさんとの拙著のことが話題になり、美智子様から、「本を出して下さった安冨さんに感謝しています」とのお言葉があったとのこと。その後、現在に至るまで女官長さんを通して、花嫁さんたちの近況報告や彼女たちから預かったものを美智子様にお渡ししてもらっております。

 2009年にJICA横浜・海外移住資料館で「海を渡った花嫁物語」の企画展を開催しましたが、皇后陛下に是非ご行啓を賜りたいと思い、宮内庁で女官長さんにお会いし、お願いしました。海外日系人協会と宮内庁の日程調整の結果、12月4日に美智子様がお越し下さいました。会場の玄関で美智子様をお迎えした時に、満面笑みを浮かべて、「ようやくお会いできましたね!」という皇后陛下の第一声には感激いたしました。

 展示会場でのご説明後、別室で懇談する機会を得ましたが、その時のお優しいお言葉の数々を胸に、これからも彼女たちのサポーター役として、ライフワークの研究を進めたいと思います。

(会報誌:2019年10月)