東急 五島昇社長の思い出(1/2)

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初めての出会いは入社試験の面接試験で
 洗足、大岡山、田園調布エリアの宅地開発構想で澁澤栄一翁の流れを引き継いだ東急2代目の五島昇社長との出会いは、何とも呆気ないものでした。
 昭和46年、鉄道と旅行が好きで、大学では観光事業研究会に所属していた関係で、西武鉄道と東急電鉄を受験しました。西武鉄道とはご縁がなく、東急電鉄では1次試験に合格して、2次の面接試験に臨みました。確か5人ずつ椅子に座らされて、五島社長以下役員の方々が居並び、進行役は人事部長でした。他の受験生には比較的答え易い質問が飛んでいた気がします。中々質問されないまま時間が経過した時、社長から「全学連の正式名称を答えなさい」という質問が私に来ました。「はい、全日本学生あとわかりません。」と答えて試験は終了しました。満足に答えられず、駄目かも知れないと思いつつ合格発表を見に行きましたら、何と私の受験番号があり、無事東急電鉄に入社することができました。

次の出会いは日商会頭時代に徳島で
 次の出会いは五島社長が永野重雄会頭のあと、14代日本商工会議所会頭に就任した昭和59年です。秋に日商の移動常議員会が徳島で開催されました。夕食会が当時私が勤務していたホテル徳島東急イン(のちにスマイルホテル徳島に移管)であり、余興で阿波踊りの有名連である娯茶平連を呼んでいました。夕食会が始まる前に五島社長から「支配人、藍染の下着を買ってきてくれ」と頼まれてお渡ししたところ、隣の席の本田技研工業の本田宗一郎社長にプレゼントされました。すると本田社長は直ぐさまそれを頭に被って踊りだし、会場は大いに盛り上がりました。
 余談になりますが、徳島で開業した昭和58年に徳島新聞主催の文化講演会で読売巨人軍元監督の長嶋茂雄氏を、翌59年には歌の全国ツアーで美空ひばりさんをホテルの客室までご案内しました。また昭和61年には第1回徳島テレビ祭の実行委員の一人として参画して、シンポジウムのゲストとして倉本聰さん、山田太一さん、ジェームス三木さんをお招きしてお世話しました。

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(会報誌:2022年04月)