【第37回文化講演会】音楽家と社会Ⅱ

会の活動報告

主催:(一財)東京新潟県人会館/東京新潟県人会 (企画:文化委員会)
日時:令和7年2月11日(火・祝)14:00~16:00
会場:ふれあいふるさと館2Fホール

前号の内容はこちら:「音楽家と社会Ⅰ

④石川県珠洲市での活動について

石川県では「能登国際芸術祭」という祭典が3年に1度開催されています。

私は2021年を機に新しく作られた「珠洲シアターミュージアム」の立ち上げに関わることになり、ミュージアムの中で流れる音楽を珠洲の音楽を研究しながら作曲していました。2022年、2023年に私は民話と民謡を題材にした朗読劇を企画いたしまして上演しました。地元の方と東京から俳優の北村有起哉さんで第1回「珠洲の夜の夢」を、第2回「昭和の珠洲の女性たち」を俳優の常盤貴子さんと珠洲の高校生たちで行いました。2024年1月珠洲で大きな地震があって復興支援をやっております。石川県立飯田高校の生徒と一緒に歌をつくるという授業をしています。来月3月26日に発表を行う予定です。民話や民謡には古い災害の記録が残されていることもわかります。もともと形のないものですので物としての破壊から免れました。民話とか民謡のもつ力は大きいとあらためて感じました。私は現在の高校生が何を思って何を歌うのか、それを記録することに大きな意義を感じており、いつか幼い子どもたちが高校生になり、かつての高校生がつくった歌を歌う時にその記録やその思いを彼らに伝えることができればと考えています。

⑤消費社会時代において、社会貢献活動が意味するものについて

社会という言葉は、人々が集まって生活を営む共同体というふうに緩やかに定義されています。その意味では音楽家も一市民として社会の構成員です。一方自らの作品世界を打ち立てる意味で思想信条は自由で社会から独立しています。それをかつて評論家の加藤周一さんは、「芸術家というのは社会からの疎外者であり同時に社会への批判者であり翻って社会はそういった芸術家を必要とする」と言葉で説明しようとしました。社会から独立しないと見えてこない問題点があり芸術家にはその問題を指摘する役割がある。多かれ少なかれ私にもそれは当てはまります。特に目に見えない音の世界、個人の頭の中で想像力を働かせながら、社会と距離をおいて生きております。

ここ数年本日お話ししたような自分の外側での活動に意義を感じるようになりました。そのきっかけとなったのは、精神科医の神谷美恵子さんの次の文章に出会ったからです。「自らを生産者と位置づける時に自分の仕事や育んでいる家族や奉仕する地域社会を通して私たちは共同体の共通善に貢献する役割を担っていると気づきます。それが国づくりにも繋がれば私たちは単なる消費者ではなく、政治的発言権を持つ市民なのだと考えられるようになります。それは政治的無力感の克服にもつながるはずです」ごく平凡な日常を生きている人にもそれぞれに何らかの生きがいはある。その生きがいこそが生産であると自覚することによって共同体はゆたかになると読むことができます。私は消費社会時代の音楽への危機感を重ね合わせました。ハンセン病問題を通じて多くの方と出会う中で音楽の知られざる一面に光をあてること。被災地の高校生と過ごすことで音楽が決して難しいものでなく自ら取り組めば自由に捉えることができる。そうしたことを少しでも伝えて音楽文化がかつて生活と直結していた時代のようにいきいきとした多様性をうつすものになればと、そうしたことに貢献していけたらと思っております。

ご清聴ありがとうございました。

(記録:広報・清水)

懇親会

講演会終了後、17:00より、会場を【吉池】9Fホールに移して恒例の懇親会を開催。この種の懇親会としては異例の55名という多数の皆さまが参加。2時間半にわたり、阿部海太郎さんを囲み、和やかで楽しい時間を過ごされた。

(広報・樋口)