【第59回卓話の時間】人生は出会いなり、人との出会いを大切に。

会の活動報告

卓話者:大坪 賢次氏(ニューヨーク新潟県人会 会長)
日時:1月14日(火)15:00~17:00
場所:ふれあいふるさと館(県人会館)2Fホール

ニューヨーク新潟県人会は1988年に発足

世界の中心都市。米国ニューヨークで活躍されている「ニューヨーク新潟県人会の会長」大坪賢次氏から標記のテーマで卓話が行われました。

ニューヨークに多くの日本の県人会がありますが、会の活動が盛況で結束も固いと評判なのが新潟県人会だと言われています。ニューヨーク新潟県人会の発足は1988年で、本年は37年目、会員数は350名です。多くの会員が集まる理由は、常に若い人たちが参加し、楽しかったまた来たいと思えるように心がけているからだといいます。毎年、新年会や春の花見会、夏のBBQ大会、秋のワイナリーツアーを実施している他に新潟県からゲストが来たときには随時、歓迎会を行っています。会合では新潟県が日本有数の日本酒の酒蔵が多い県なので毎回、酒蔵からの現物提供があり、若い女性の参加も多く、宴が盛り上がるのも人気の1つだとか。

大坪さんの本業は、大坪不動産の社長としてニューヨークの不動産や富裕層の個人住宅などを手広く手がけ、トランプ大統領と一緒にゴルフをする間柄でもあり、日米の政財界の要人たちと直接的・個人的なパイプを持って日本とニューヨークの友好の掛け橋として日米関係を搦手(からめて)から応援している人物だという。

①私が何故アメリカに行ったのか。

大坪さんは南魚沼市塩沢の出身。六日町高校を卒業後、日本大学法学部へ進学。実家が農家だったので親の脛をかじる気は全くなく、学費は新聞販売店で住み込み。朝3時に起きて新聞を配達、9時に大学へ行き、午後3時には再び夕刊を配達という日々。これでは十分に勉強ができないことから牛乳配達の仕事に転じ、朝だけの仕事となり待遇も良くしてもらったが学業との両立は大変だった。それでも配達区域はエリートが多く、こんな家に住めるようになりたいという夢を持つことが出来た。

1963年。ケネディ大統領が暗殺された年、それまでくすぶっていたベトナム戦争が本格化。その時、人はなぜ戦争をするのか、ベトナムへ行って自分の目で戦争の現場を見たいとの思いで単身ベトナムに渡り、亡くなった人の姿を目撃したという。その後2カ月間ベトナムに滞在し、帰りの船の中で、これからは国際社会に貢献できる人間にならなければならないと思い、そのためにアメリカに行こうと考えた。

➁アメリカで何をしているのか。

日本大学卒業(1968年)、23歳の時に渡米。英語力をつけるためにルイジアナ大学で学び、後にスタンフォード大学のビジネススクールに通うためにサンフランシスコへ渡った。入学前にお金を貯めようとアルバイトで観光ガイド兼運転手を行い、領事館の担当をしていたら、最初のクライアントがなんと佐藤栄作首相だった。更に、その次のクライアントが後に総理大臣となる田中角栄通産大臣であった。当時は、日本からワシントンへの直行便が無くて、みんなサンフランシスコに立ち寄って1~2泊して体調を整えてからワシントンに向かうというのが通例になっていた。その頃の田中角栄さんとのエピソードは角栄さんが、大坪さんの話し方を聞いて新潟出身者だとわかり、且つ、同じ選挙区だったこともあってか、一緒に飯を食おうということになりサンフランシスコの高級料亭に連れて行ってくれて、別れ際には胸から分厚い札束が入った財布を取り出し、小遣いを頂いた。更に翌日、空港に見送りに行ったら歩み寄って来て握手し、日本へ帰ったら訪ねて来なさいと言われた。

38歳のときにビジネスコンサルタント会社「大坪インターナショナル」を設立。1980年代はバブルの影響もあり、業績はうなぎ上り。ニューヨーク中を車でくまなく廻り、どこに何があるのかわかるようになって不動産ブローカーのライセンスを取得。

1985年に「大坪不動産株式会社」を設立し、知り合いの紹介などで日本企業の駐在員用の住宅やオフィスの移転、アメリカへの投資相談などの仕事を手がけ、最盛期にはアメリカに5カ所のオフィスを持ち、社員100人を抱える会社に成長させました。

ゴルフをするようになり、ゴルフを通じて不動産取引の多くを紹介してもらいました。40歳でゴルフを始めたので、どうしたら早く上手になれるかと考え、それにはまずレッスンを受けた方が良いと思って、最初にフロリダのジャック・ニクラスのゴルフスクールに行きました。その後、カリフォルニア、アリゾナ、サウス・カロライナ等のゴルフスクールに通い、朝晩ゴルフ練習場でボールを打ち、日中はコースを回り、毎日ゴルフをしていました。

その後、苦労してゴルフクラブのメンバーとなり、メンバーにアジア人がいなかったことから、すぐに理事に選ばれました。理事会はマンハッタンの一流レストランで開かれ、ニューヨークタイムズの社長やゴールドマンサックスの会長、共和党の委員長と各界のトップの方々と知り合いになることができてアメリカ社会にどんどん入り込み人脈を広げることができました。そうした出会いからゴルフ場マネジメントも頼まれるようになっていました。この頃に大統領就任前のトランプ氏とゴルフトーナメントで知り合って、お互いのオフィスが近かったこともあり、よく一緒に食事をしました。当時、仕事とゴルフが忙しく、トランプ氏との付き合いは徐々に遠のきましたが、とにかく私の人脈は、ゴルフが基盤なのです。

日本からも理事を務めるゴルフクラブに入りたいという申請書が多数届くようになり、トヨタ自動車の社長やソニーの会長などのトップとも知り合うようになりました。ゴルフをしたことで、普段、会えないような方々とも知り合うことができて、お金よりも人との繋がりが大切ということが分かりました。

人の輪、人との絆をできるだけ大事にすることでビジネスの成約率が変わることも実感しました。チャンスは待っているのではなく、これをしたいと思ったらまずどうしたらいいのか、考えて行動する。そして自ら飛び込んでいけば、そこに新たな出会いがある。その出会いを通して、見返りを求めずに相手に与え続ければ、やがて自分に戻ってくるということ、まさにこれを実践して成功しました。飛び込み営業ではダメだけれど、人の紹介だと9割は決まります。

これから何をするのか。アメリカから見た日本と新潟県。

最近の若い人は、日本がいい国過ぎて、海外に出たがらないと聞きます。アメリカの大学で高い授業料を払い、懸命に勉強して卒業しても、どうしたことか日本の一流企業は敬遠して採用してくれません。だから海外の大学を卒業した優秀な人材が外資系の企業に流れています。留学経験者を積極的に採用する仕組みを作らないと、国際社会の中で、韓国や中国に負けてしまいます。多くの若者が海外に出て、日本の良さを伝えられるような環境を整備する必要があります。新潟の中学生や高校生をワシントンDCとニューヨークに招き、海外体験を積んでもらう海外短期研修留学制度を実施し、一人でも国際感覚を持った若い人材が新潟のために将来貢献できるよう後押しするのが大坪さんの更なる夢の実現だと。また、大坪さんは日本酒やワインにも造詣が深く、アメリカソムリエ協会認定ソムリエ、フランス ブルゴーニュワインの騎士受任、新潟酒造組合名誉大使などの肩書を持ち、ニューヨーク新潟県人会会長としても今後は新潟県へ還元していきたいとのこと。是非、新潟県を世界へ向けて一緒にPRしていければと構想をお話しされた。

講演後の質疑では、普段直接聞くことのできない話に参加者は耳を傾け、有意義な卓話となりました。

帰国中の身でお忙しい最中に時間を割いていただいたことに感謝します。