【第57回卓話の時間】弁護士生活60年の落穂拾い(抄)

会の活動報告

卓話者:春日 寛 氏(弁護士・県人会相談役)
日時:令和6年9月10日(火)15時~17時
場所:ふれあいふるさと館(県人会館)2階ホール

第1:妙な話

弁護士になり立ての頃、K君が突然事務所に来た。「えらいことになった。子どもが出来た」「おめでたいことではないか」「いやー、相手は女房ではない」。聞けば「有楽町の交通会館の2階をほろ酔い気分で歩いていると、階段のところに女がこちらを見ている」と。

さる日彼女に事務所に来てもらった。「神のお告げの子です。堕ろせません」。何回かのやりとりのあと、このようなことで話がついた。「2人は今後一切会わない、子供のことで相談しなければならないことが生じたら春日を通してやりとりをする。名付け親は春日になって貰う」。

彼女は東大病院産婦人科で診て貰っていると云っていた。予定日は9月7日。そこで私は彼女の事業所に架電したが、彼女は不在。通常通り事業所に出ていると云う。その後二度ほど架電しても彼女が出産のことで休暇をとった形跡は無い。それから半年後の3月末の頃、彼女から電話「生まれました」と。「杖でもついて生まれて来ましたか」と私。「名前は付けて貰わなくてもいいことになりました」「ほう?」「ミイラで生まれました」。東大病院の産婦人科にかかっていてそんなことあるのかなと、奇妙な話である。

第2:印鑑証明、印鑑登録証明、印鑑カード

某日葛飾区在住の女性から相談を受けた。彼女所有の土地を競売する、と云う裁判所からの書類が届いた。「私は金は借りていない。只、娘婿が勝手に借りたのかも知れない」。

そこで某日、娘婿に来所を促した。「申し訳ありません。義母の実印と同じモノを作って、それで印鑑証明書をとり、義母に無断で金を借りた」と。そこで偽造印を作ったと云うハンコ屋に行き「頼まれて作った」との言質を得、実印とこれに似せて作ったと云う印鑑の「鑑定」を専門家に依頼。出来た鑑定書を甲第一号証として裁判所に提出。もとよりこちらが勝訴。敗訴した銀行は今度は偽造印で印鑑証明書を発行した葛飾区役所を提訴、区役所は敗訴。

この制度について若干説明しておこう。かつては、印鑑ビラという紙片の上方に印章を押し、区役所に提出、区役所は予め「実印によるものとして登録されてある印鑑と印鑑ビラとを平面照合して、同一のものである、と判断すると前記印鑑ビラに押捺してある「印鑑」は「実印による印鑑によるものである」と認定して区長の判を押す。この平面照合のとき見誤ると「偽造印による印鑑」を「実印による印鑑」と見間違えてしまうわけである。

このように見間違いのケースが度々あったようで、この訴訟のあと同種事件が多発した。そこで困った自治省は「実印による印鑑として登録されてある『印鑑』はこういう『印鑑』である。だから契約締結の際使用される印章が実印であるかどうか『登録済印鑑証明書とよく見比べてください』となった。つまり「実印による印鑑かそうでないかの判断をする責任が区役所から金を貸す方に転嫁された、ということである。だから現今の印鑑登録済証明は印鑑カードさえ持参すれば、誰が行っても発行してくれるようになった。昔は本人でない代理人が交付申請する時は実印を押捺した委任状を持参しなければならなかったのである。

この裁判のせいか、私はその頃NHKに呼ばれてハンコのことを一くさりラジオでしゃべらされたことがある。

因みに「印鑑」とは「印章」の押捺によって顕現された「印影」のことであるから「印鑑を持って来て下さい」という云い方は間違い。「印影」など持ってはいけない。正しくは「印章」または「ハンコ」である。

第3:売春類似の行為を処罰する条例

「売春」は女の行為であって男の行為ではない。男の場合法律では「売春類似」と云い、処罰するかどうかは各自治体に任せている。つまり「条例」にである。私がこの事件を担当した頃(三島由紀夫事件の頃)、東京都には、その旨の条例があったが埼玉には無かったと記憶している。

被告はかつて日活製作所に勤務、Sという助監督からその道を教えられ、女装して新宿の街を歩くようになった。某日、新宿警察署のおとり捜査で逮捕された。岡山県出身。第1回公判日、彼は結っていた髪の紐をほどいて出頭。足のくるぶしまで髪が垂れている。裁判長「後ろを向いて」と。被告人は回れ右、ほとんど床近くまで髪が垂れている。「元へ戻りなさい」。続いて「化けものだな」と(今では考えられない発言であるが)。判決言渡の日、裁判長、法廷を見まわして「お父さんは来ていますか」。一瞬執行猶予にする気だなと感じた私はすくっと起立、「今東京に向かっています」。実はこれは嘘。裁判長「岡山に帰って、父のやっている農業を手伝いなさい」と、執行猶予。

法廷を出て私はすぐに事務所に電話。「岡山の父に電話をして直ちに上京し翌朝11時に私の事務所に来てくださるよう」伝え、裁判所の地下二階にある彼らが控えている留置所に行き、彼と面会。「今日、夕方釈放される。明朝11時私の事務所に必ず来るように、これは裁判所との約束であると伝え、事務所への道筋を書いた図面を彼に渡すよう看守に託して事務所に帰った。

翌朝11時、事務所に行くと、彼の父は事務所に来ておられた。山陽新幹線の無かった頃、上京するには一晩かかる。ところが待てど彼は来ない。すぐに彼の新大久保のアパートに彼の父と事務員に走って貰った。その報告。「アパートはもぬけのカラです」と。男のカラダもそれなりに金になるという道を知った彼は又新宿のヤミの世界に消えて行ったのである。その後の彼の消息は知らない。美少年だったという記憶が私の脳裏にある。