暮らしのヒント

街道をゆく10『羽州街道、佐渡のみち』司馬遼太郎

四半世紀にわたり連載金字塔・紀行文集  『街道をゆく』は、作家・司馬遼太郎(1923~1996)による紀行文集シリーズ。作者47歳時の昭和46年(1971年)から、作者逝去の平成8年(1996年)2月迄、『週刊朝日』に連載、順次出版(朝日新...
会の活動報告

「ネパール/ ヒマラヤにはまって!!」

坂大 トキエ氏(東京やまと会副会長)  1939年、南魚沼市に生まれ、20歳で故郷の八海山に初めて登った。  川崎在住、結婚して2年目で自宅を新築。主婦で埋もれたくないと富士山に29歳で登り、登山がライフワークの一つになる。丹沢、尾瀬、日本...
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雨飾山麓しろ池の森(糸魚川市)

紅葉の名所です  「しろ池」は、深田久弥氏の日本百名山に選ばれた雨飾山や駒ケ岳、鬼ケ面山(おにがつらやま)、鋸岳の海谷山塊を望める絶景スポットです。池の周りには簡易な道が有り歩いて一周できます。 10月下旬からはブナの紅葉が素晴らしい季節で...
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伝統的工芸品 羽越しな布 生業の里

ふるさとの暮らし 日本の原風景 リポート 佐藤 勝(東京村上市郷友会・広報委員会副委員長)  我がふるさと村上で昔から作られていた工芸品の“しな布”について、現在どうなっているか調べてみることにした。  “しな布”製品を今は亡き私の叔父が東...
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想いは「越後の雪椿」―「雪椿」ユキツバキの発見・命名秘話(3/3)

伊藤忠孝先生の献身的な「雪椿・命名の経緯」探索  この調査は、県の農業高校校長経験者の先生方、とりわけ、中澤喜昌元加茂農林高等学校長、小倉亥作元長岡農業高等学校長両先生とご相談の上、地元阿賀町にお住まいでこの地に詳しい、旧津川町隣の旧上川村...
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想いは「越後の雪椿」―「雪椿」ユキツバキの発見・命名秘話(2/3)

雪椿の幻の「発見・命名者」丸山忠次郎先生  ふたたびあの日、麒麟山の父の回想に戻ります。登った口がどのあたりからかは、今ではもう知る由もありませんが、当時の学校の所在地から考えて、おそらく津川の方からだったのに違いありません。山中、植物学に...
イベント・お知らせ

ふるさと納税であなたの想いをにいがたへ

ふるさと納税を通じて新潟を応援しよう! 寄附をいただいた方には、新潟県のお米やお酒、宿泊券・金属製品などの地場産品を「お礼の品」としてお送りします。 いただいたご寄附は、下記からご希望の使い道を選択いただけます。  ①災害からの復旧・復興と...
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想いは「越後の雪椿」―「雪椿」ユキツバキの発見・命名秘話(1/3)

父から語り継がれた「雪椿」発見にまつわる話  まだ、若き日の春、父と私は東蒲原郡の麒麟山の山中にいました。麒麟山はそんなに高い山ではないのですが、それでも薄っすらと汗ばんだ体を爽やかな風に委ねていました。足元を見ると、雪椿がそこかしこに見ら...
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加茂山公園の紅葉(加茂市)

紅葉の美しいシーズンです  「加茂山公園」はJR加茂駅から徒歩5分、約1300年の歴史がある青海神社を中心とした森に囲まれた公園です。その名のとおり加茂山の中腹に位置する公園で、市街に近いながらも雑踏の聞こえない穏やかな空間となっています。...
会の活動報告

「中卒で上京、豆腐屋に嫁いだ波乱万丈の人生」

山崎 ヤス氏(県人会副会長、元首都圏六日町会顧問)  昭和16年、六日町で8人兄弟の6番目に生まれ、母親は小学校2年生の時に他界、長兄が病気で倒れて父親は大変でした。家が非常に貧しかったので、学校の学級費を親に言いづらく、中学生になると雪が...
暮らしのヒント

フォトガイド『佐渡島絶景』 伊藤 ヨシユキ
DISCOVERY OF SADOGASHIMA ―あなただけの一枚がきっと撮れる

「私が写真を本格的に始めたのは、2014年の第1回「BSN新潟遺産写真コンテスト」に応募した作品がグランプリを受賞した時でした。審査員は、故・天野尚氏でしたが、天野さんのような写真を撮りたい。そして、写真でたくさんの人を引きつけ、地元の魅力を伝えたい。」「その後、私の撮影した写真を見て、その地を訪れ、写真を撮る人が増え、また、その人の撮った写真を見て現地で撮影の連鎖。」  本書は、そんな連鎖を手助けする「絶景スポット撮影」の恰好のガイドである。
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私の宝物……

前日の団体戦優勝に続いての個人優勝を決めた瞬間、私はコートに倒れ込んでしまった。昭和41年7月30日、新潟市白山市営コートで開催されたオールデンタル(全日本歯科学生体育連盟)大会最終日のことだった。表彰式ではこみあげてくる思いを抑えきれず、思わず涙がこぼれ落ちた。忘れられない熱い青春の涙だった。そのころ短大は、大岡山から移転して間もなく、テニス部もまた、二人の先輩のお力で、神奈川学生連盟に加盟し、そのつながりで初めての専任コーチを関東学院大学のHさんにお願いし、さあこれからという状況だった。