庄山悦彦さんを偲ぶ

会の活動報告

高田高校校友会東京支部 副支部長 高橋 誠
3月26日16時~ 県人会館2階ホール

1.高田高校と校友会東京支部について
 高田高校校友会東京支部有志は、3月26日、庄山悦彦さんの思い出を語る会を新潟県人会館で開催、校友50名余が集いました。
 高田高校は明治七年創立、文武両道を重んじ、夏の全校登山は百年以上の歴史があります。体育館の壁には、故郷の英雄上杉謙信公が揮毫した「第一義」の額が掲げられ、これが今でも校是となっています。また、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールに指定されているほか、2年生が東京の企業やベトナムに研修に赴いています。
 校友会東京支部は、主に首都圏に住む校友で構成され、会員約1600名。名称は「東京支部」ですが、母校に拠点を置く校友会本部とは別に、独立した組織として昭和40年に設立されました。毎年六月の「支部総会」には、500名前後が参加します。

2.日立製作所社長・会長を歴任した庄山支部長
 この東京支部長を歴代最長の8年間お務めになったのが、庄山悦彦さんです。庄山さんは旧高田市出身、高田高校在学中伝書鳩を飼い、その経験が後の情報通信などに役立ったと言います。昭和29年の卒業式では、小和田毅夫校長(皇后陛下雅子様の祖父)から「士別れて三日なれば刮目して相待つべし」という、『十八史略』にある有名な言葉で送り出されました。

庄山悦彦氏
庄山悦彦氏

 その後、東京工業大学に進み電気工学を専攻、日立製作所に就職。日立では工場長などを務めた後、取締役AV機器事業部長を経て、社長、会長まで上り詰められました。在任中は、IBMのHDD部門の買収、蒸気機関車誕生の地である英国への高速鉄道車両の輸出など、目覚ましい業績を挙げられるとともに、「この木なんの木…」という有名なCMにご自身で出演したこともあります。
 併せて、日本経団連副会長をはじめ、政府の総合科学技術会議議員などの要職をお務めになりました。その間、フランス国レジオン・ドヌール勲章オフィシエ受章、文部科学大臣表彰、旭日大綬章受章など、数々の輝かしい受章(賞)を重ねられました。
 庄山さんは故郷と母校をこよなく愛し、机上には「小善とても勉むべし 小悪とても犯すなよ…」という校歌の一節を掲げて励みにしておられたと言います。また、雪深い高田で育ったことから「頑張れば道は開かれる」という信念をお持ちでした。一方、校友にはいつも優しい笑顔で接し、在校生に向けた講演会等にも労を惜しみませんでした。不世出の偉人であることなど微塵も感じさせず、誰からも慕われました。
 3年前支部長を退任、内山郁夫・前日本ケミコン社長・会長に引き継ぎました。しかし1年後の令和2年6月に逝去(享年84)、即日従三位に叙せられました。あまりに早いご他界でした。

3.「庄山悦彦さんの思い出を語る会」開催
 「庄山さんを偲ぶ集いを持ちたい」という声は早くからありましたが、コロナ禍での開催方法を熟慮の上、庄山さんの同期生・支部役員等の尽力で、ようやく実現に至りました。庄山さんのご令室、お子様、お孫様をお招きし、上越からは校友会本部役員に駆け付けていただきました。
 新装なった県人会館の設備を活用し、故人を偲ぶビデオ上映を行うとともに、ご遺族の厚意でレジオン・ドヌール勲章や旭日大綬章等貴重な品を展示することができました。また、庄山さんの語録を若手校友3人が輪読するなど、厳かな中にも和やかな雰囲気の会となりました。
 最後に、当日のご挨拶や追悼文から、ごく一部をご紹介します。
 発起人代表で元支部長の佐久間曻二・元WOWOW社長・会長からは、庄山さんが日本経団連の会長候補だったとの秘話が披露されました。演劇の道に進んだ同期友人からは、銀座の劇場に庄山さんから立派な花輪が届き、共演の黒柳徹子さんが驚いたことが紹介されました……。

 このような方を支部長に戴いたことは、校友一同の誇りであり、励みでもあります。改めて心からご冥福をお祈りいたします。

(会報誌:2022年06月)