【第60回卓話の時間】文春砲とは何か? Ⅱ

会の活動報告

卓話者:柳澤 健(ジャーナリスト)
・日時:日時:3月11日(火)14:00~16:00
・場所:ふれあいふるさと館(県人会館)2Fホール

「文春砲とは何か?」Ⅰはこちら

新聞やテレビが勢いを失う中、週刊文春だけは数々のスクープで注目を集め続けています

時代が経過し、スマホの普及と紙媒体の衰退は急速に進み、通勤電車で新聞や雑誌を広げる乗客は激減し、ネットニュースや事故現場の映像、ゲームやドラマ、スポーツ、あらゆる情報がスマホで得られるようになった。この先、どれほど頑張っても紙の雑誌を伸ばしていくことは難しい。そんな中で『週刊文春』が生き残るためにはどうするか。デジタルというフォーマットで戦っていくしかないということでした。

『週刊文春デジタル』が日本最大級のインターネット動画配信サービス「ニコニコチャンネル」と組み『週刊文春』の特集記事を配信することにした。月額864円を支払えば過去5週分を購読できかなり割安だ。その上、無料で閲覧できるスクープ速報や会員限定の動画も見られる。問題とされたのは訴訟リスクである。インターネットの世界は閲覧者数が多い分、非常に高額な訴訟もあり得るのでは、そんな恐ろしいものはやめておこう、という声は常に聞こえてきた。

2015年の『週刊文春』は苦しかった。編集長はただひとり「リスクはゼロではないがスクープの可能性も大きい」と。未知の領域に踏み込むべきだと主張し、『週刊文春』が生き残る道はデジタルしかないと決断。『週刊文春デジタル』をやめろというのなら、業績を伸ばすための代案を出せ。スクープがなかなかとれず、返品率がジリジリと上がっていたからだ。

どんな相手にも追及の手を緩めないという編集長が編集部員にたったひとつだけ「絶対にやめろ」と指示していたことがあります。私たちに人を裁く資格なんてない。われわれだって間違いは犯すわけだし、そんなに偉くもない、だから、「トドメは刺すなよ」と。

知りたい気持ちを大切にする。明るい野次馬根性っていうか、よく「事あれかし主義」という言い方をしていた。事なかれ主義ではなく。記者は大きな事件があると、心がざわつくようなところがある。「なになに? どうしたの?」って。でも、どんなに好奇心を刺激されても、道徳的なラインのようなものはある。抽象的な言い方だが、人間に対する敬意を欠いた記事は水に落ちた犬も同然だと思う。自分は安全地帯だからこれでもかというくらい叩くが、編集者で大事なのは「愛嬌」、「図々しさ」、「真面目さ」のこの3つ。

今、政治家や芸能人がもっとも恐れているもの…それは「文春砲」ではないだろうか。もともとネット上のスラングに過ぎなかったが、テレビのワイドショーなどでも使われるようになって一般化。『週刊文春』が放つ数々のスクープは大きな影響力を持ち、炎上、活動休止、降板、引退など多くの悲喜劇を生み出してきた。だが、「文春砲」の生みの親ともいえる『週刊文春』前編集長の新谷学氏(現『文藝春秋』総局長)は「文春砲という言葉があまり好きじゃない」と明かす。その言葉の裏にある思い、そして『週刊文春』『文藝春秋』の矜持を聞いた。

ジャーナリズムというとどこ高尚な響きがある一方で、ネットやSNSでは「報道の自由という盾があれば何をしてもいいのか?」「偉そうだ」と、批判されることもある。特に昨今では、新聞や雑誌の記者、報道番組のスタッフなどが問題行動を起こしたときの反発は凄まじい。そんな中で「文春砲」を定着させ、ジャーナリズムの最たるものと言えそうな『週刊文春』前編集長は、「特権意識や選民意識を持つのは違う。言論の自由とか表現の自由みたいなものを振りかざしても読者の共感は得られない」と、スタンスを語る。「そもそも月刊『文藝春秋』は、作家・菊池寛がおよそ100年前に創刊した雑誌で、原点にあるのは人間への飽くなき興味です。『週刊文春』もそのDNAを受け継いでおり、人間のどうしようもない部分…性(さが)とか本能、カルマみたいなものも含めて、肯定的に捉えている。人間って浅ましいし愚かだけど、そこが面白い。

・リスクがあるから書かないのではなく、どうすれば書けるのかを考える。
・人間の営みは面白い。
・ゴシップを楽しみ、ウサを晴らすのもひとつの文化。
・気をつけるべきは、人間への敬意を失わない、偉そうにしない、断罪しようとしないこと。
・完璧な人間なんてどこにもいない。
・人は美しい球体ではなく、どこか欠損している。だがその欠けた「いびつ」な部分こそが個性だ。一人一人違うそれぞれの形に当たる「光と陰」を、余裕を持って愛でられる人間でありたい。

本日は長時間、ご清聴いただきありがとうございました。