佐渡島の金山はユネスコの舞台へ (2/3)

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予算委員会で政調会長が質問
 1月24日衆議院の予算委員会で高市自民党政調会長が「地方から受けている要望」として、「佐渡島の金山」について「1年に1件」の貴重な機会であり、必ず推薦すべきと要点を諄々と説いた。
 更に、28日午前の予算委員会では鷲尾衆院議員の質問に林外務大臣は「(登録)実現に向けて何が効果的かという観点で検討しているということは、前向きというよりもさらに前向きなのではないかと考えている」と答弁。

「佐渡島の金山」を推薦
 1月28日午後、岸田総理は、「佐渡島の金山」の登録実現に最も効果的な対応を図るため、本年申請を行うと発表。政府は2月1日に閣議了解を経て、ユネスコに推薦書を提出した。林外務大臣は、「関係省庁と連携して登録実現にしっかりと取り組みたい」と述べた。同日、内閣官房副長官補のもとに関係省庁を集めたタスクフォースの初会合を開き、国際社会での支持拡大に努めることを表明した。

江戸期世界最大級の金山
 世界遺産を目指す佐渡島の金山は、相川鶴子金銀山と西三川砂金山で構成する鉱山遺跡群です。
 佐渡島の金山は、江戸期の17世紀における世界最大級の金生産地であり、世界中の鉱山で西欧化・機械化が進む16世紀後半~19世紀中半にかけて、伝統的手工業による生産技術と生産体制を深化させた金生産システムを構築した世界に稀有な鉱山遺跡で、世界文化遺産にふさわしいものです。
 鉱石の採掘から小判製造まで手工業による生産工程を島内で完結、高品質の金生産現場で貨幣(佐渡小判)の鋳造を行った例は世界に佐渡しかなく、その技術等の様子は、奉行所跡の発掘や鉱山絵巻等によっても確認されます。
 また、繁栄によって4~5万人が移住したといわれ、彼らが形成した鉱山町の町割りと集落遺跡が残り、持ち込まれた能をはじめとする文化芸能の多くが今に伝承されています。
 佐渡島の金山は、明治以降の鉱山遺構も多数が残るものの他の金鉱山との差別化が難しく世界遺産としての価値の証明が困難なため、対象範囲を戦国時代末から江戸時代に限定しており、戦時中は、含まれていないのです。

金と銀を分離する焼金炉作業
金と銀を分離する焼金炉作業(鉱山絵巻 相川博物館所蔵)

佐渡奉行所跡で発掘された焼金炉で、鉱山絵巻の炉と一致する
佐渡奉行所跡で発掘された焼金炉で、鉱山絵巻の炉と一致する

3/3)へつづく
(会報誌:2022年03月)