蕗谷虹児展【レポート2】

会の活動報告

NIIGATA(新潟県)が生んだ、〈大正ロマン〉の幕開から〈昭和〉にかけて活躍した[画家・詩人]
蕗谷虹児 〔夢・慈愛・虹の世界〕


「花嫁」1968年
花嫁人形
金襴緞子の 帯しめながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

文金島田に 髪結いながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

姐さんごっこの 花嫁人形は
赤い鹿の子の 振袖着てる

泣けば鹿の子の 袂がぬれる
涙で鹿の子の 赤い紅にじむ

泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
赤い鹿の子の 千代紙衣裳


「柘榴(ざくろ)を持つ女」1927 年


「旅の絵だより 出帆」 1926年

大正期から昭和期にかけて詩情溢れる「抒情画」で第一線を歩む
蕗谷虹児 略年譜

・1898年(明治31)現・新発田市で生まれる。(本名・一男)
・1913年(大正2)新潟古町出身の日本画家・尾竹竹坡(ちくは)に師事
・1920年(大正9)竹久夢二の紹介で、挿絵家デビュー
・1921年(大正10)虹児に改名 朝日新聞連載の吉屋信子『海の極みまで』挿絵に大抜擢
・1924年(大正13)『令女界』に詩画「花嫁人形」発表
・1925年(大正14)フランス パリヘ留学。翌年から「サロン・ドートンヌ」展に3回連続入選
・1929年(昭和4)帰国。パリ風モダン画風の挿絵で人気を博す。戦後。復刊の各誌に執筆再開。1950年代より多くの絵本を手がける
・1966年(昭和41)新潟市西堀通りに、代表作「花嫁人形」(上掲)の詩碑が建ち、自身除幕式に参列
・1979年(昭和54)中伊豆温泉病院にて没す。享年80歳
・1987年(昭和62)新発田市中央町に「蕗谷虹児記念館」開館


「潮風」 1928年


講談社の絵本「人魚姫」(魔法使いと人魚) 1956年

NEXT→蕗谷虹児展【レポート3】