【特別寄稿】私の人生観

暮らしのヒント

不肖私は、昭和8年(1933)6月24日に生を受けました。
今日振り返ってみるとよくこれまで生き延びて来たかと感心しております。
一昨年には、図らずも米寿(88歳)の祝いに浴したことはまさに天佑でした。特に私の場合は昭和20年(1945)8月1日の夜、長岡で米軍B29による大空襲を受け九死に一生を得た思い出があるからです。全く奇跡の事実です。

私達昭和8年(1933)生まれの輩はいつも時代のはざまを生き延びて来たように思います。
学業は昭和15年(1940)4月尋常小学校入学でした。
翌年昭和16年(1941)4月からは全国一斉に尋常小学校は国民学校に改名されました。それは当時の国民皆兵の政策に因むものと思います。
続いて昭和16年(1941)12月8日には日米戦(大東亜戦争)が開始されました。開戦の初期は何とか善戦でしたが月日が経つにつれて日米の国力の差から苦戦に陥りました。遂に、昭和20年(1945)8月6日広島・8月9日長崎に米軍の原子爆弾投下によって4年間続いた戦争は昭和20年(1945)8月15日終戦(敗戦)を迎えました。

この原子爆弾の被害は人類はおろか地球の破滅に至るものでした。戦後の日本は連合国米軍(GHQ)の指令によって日本の軍国主義国家は民主主義国家に豹変されました。
翌年昭和21年(1946)4月に特別中等学校進学志望者は明治以降の最終学歴男子は旧制5年制の中学校へ女子は同じく5年制の高等女学校へ試験を受けて入学することになりました。

昭和22年(1947)4月からは6・3・3・4の新学制が発足しました。
神国とわれた時の現人神(あらひとがみ)天皇は戦後は人間天皇として日本の象徴とされました。

学校の歴史・地理の学習内容も科学歴史、科学地理として学ぶことになりました。

私自身も戦時中は軍国少年として育ちお国のために役立つ軍人志望でしたがその夢は破れ戦後中学1年の時夏目漱石の坊ちゃんを読んで正義感の強い坊ちゃんに憧れ中等教員(現高校教師)となり今日に至りました。現実はそんなに簡単なものではなかったのですが…。理想の夢を追う教育の道は不変であることを信じていく決意です。
昭和22年(1947)5月3日、日本国憲法が施行されました。この憲法の特筆することは同胞310万の犠牲の反省の中から誕生したものであり、日本は永久に戦争を放棄した不戦憲法第2章第9条の平和憲法でした。

戦後の日本はこの憲法のお蔭で世界の戦争に巻き込まれず平和の生活を享受できたことを銘記すべきであります。
今世界には不幸にしてロシアとウクライナで領土争いの戦争が続いております。戦争は勝っても負けても尊い生命を失い文化遺産を破壊して何も益することはありません。
一日も早く不戦を誓い平和外交の実現に徹する秋(とき)であることを祈っております。

文章:三條 和男(東京関原会・会長)