企画:広報委員会
募集期間:4月30日(木)まで
今年の父の日は6月21日です。「父」によせる思いは、皆様それぞれにおありと思います。
本記事では、清水裕美子氏にご執筆いただいた文章をご紹介いたします。
「おもいで」
昨年9月、父が他界した。
生まれたのは昭和7年2月、雪深い古志郡山里である。12歳の時、父親が急逝して6人の子は母親に育てられた。長男であった父は成人し、後に同村出身の母と結婚し4人の子を育ててくれた。
住まいは旧山古志村から旧栃尾市へ向かう途中にあり、長岡市へは榎トンネルが開通するまで森立峠を通っていた。
山間の田園地帯で道沿いに民家がぽつりぽつり点在する。昭和の初め頃は70軒余り、今は20軒に満たない小さな集落である。村の中央に川が流れ、二つの橋がかかっている。一つの橋の袂に神社があり、一つの橋の袂に学校があった。学校は道沿いに建てられて、昭和47年頃廃校となった。在りし日をしのぶ桜の木と石碑が立っている。
◆村の店
二つの橋の中程にバス停と郵便ポストが置かれ、神社を仰いで立つ家で父は酒タバコ食料理品の商いを生業としたが一家に一台、車を持つ様になるに従い経営も難しくなり、今はバスも通らない。
家業を父は母に任せて長岡へ通って土方、冬期には出稼ぎをして働いてくれて事、忘れられぬ。
昔話になるが清酒は贈答によく売れて2本を紐で結び、硯に墨を磨り熨斗紙に細筆で御礼、御祝、寸志と名を書き線香や蝋燭は白い紙で包み、御明志と書いた。タバコや商品が入荷すると棚にきれいに並べた。おつりとなる小銭も丁寧に扱っていた。帳簿も正確に付けていた。生真面目で几帳面で酒をのまず歌も唄わない父と朗らかな母と親切で礼儀正しい村の人たち。細々とでも生活してこられたのはすべておかげさまである。
人の温かさ優しさ慎み深さは雪の育んでくれたものであろうか、山の自然につつまれ育くまれた日々に感謝している。
家の庭
父は寡黙な人だった。自然に畏怖を感じていたと云う。
鳥、虫の声や草木や葉の動き、水の流れ光る雫や影にも心を添わせていたようだ。
村の家々は農業で生計を立て、父は田畑を手放さないと生活できない事情があった故か、庭に野花を育てた。
道ゆく人が一瞬でも疲れをいやし心和ます家の庭は川と道に沿って細く長く、それは山とつながって調和していた。父を知る人々と思い出は尽きない。
手元に残る平成10年の新聞を形見とも思い時折読み返している。
シラネアオイの花
「30年かけて育てた白根アオイの花50株 杜々の森に」「シラネアオイ移植 花をめでる憩いの場に」と題された2つの記事である。
父は昭和18年11歳の時自宅の庭先で初めてシラネアオイを見た。2年後、育てていた祖父が他界し、花を見ることもできなくなった。祖父をしのんで山々を歩きまわり再びシラネアオイに出会ったのは同45年。祖父が炭焼をしていた同じ所で見つけたうれしさに一株持ち帰り、半日陰や風通しなど山の自然条件に近い所を庭につくり、化学肥料を一切使わないで育てた。年々株分けをした結果、百五十株までになった。
父は前年病に伏したことから十分手入れができなくなると思い50株を杜々の森に寄贈した。
「この花が一株でも後の世に残ってくれたらと思い、植栽する苗を有志に贈り、よろこびの輪を広げていきたい」と抱負を語っていた。
土に根づく
土に移植している作業着姿の変わらぬ父が写真に残る。何かをする時でも慎重に歩んだ父は、今は見えないけれども今は見えないけれども庭のどこに何があるか時間をかけた分知っていた。
土の中で種子が根付いて芽を吹き、伸び育っていく姿を楽しみにしていた。
かなしみもあるがそればかりでなくよろこびもあると命を教えてくれた。一緒にいると胸つかれる思いもした。しみじみと感じさせてもらった。
自然な暮らし
父は老い母も老い、子らが巣立つと店を閉じた。滅多に家を長く空けることも無く、道端の家だから、山の風景に憩う人や車を降りて道を尋ねる人から声をかけられる度にお茶をさし上げ、ささやかな時をともに過ごしていた父だった。母はそうして今も暮らしている。身体は徐々に衰え神社の石段は昇降できずとも山に手を合わせ仰いで拝している。路傍の子安観音地蔵、延命地蔵、十一面観音地蔵の前を通る度毎に立ち止まっておじぎをしている。雨の日、風の日、雪の日と情趣を感じる。いつもそこには自然があってくれている。
「シラネアオイの花」は紫色で大きく高山で見られる花。栃尾での開花時期は5月初旬頃である。6月24日に植栽したと記事に残る。父は今、自然の中に宿っているとおもう。
(広報委員 清水裕美子/会報誌:2026年6月号掲載)
