人間国宝 世界の三浦青磁

暮らしのヒント

特別寄稿 生誕90年 没後17年
中国皇室官窯超え『人間国宝 世界の三浦青磁』
~成功は佐渡金銀山・無名異赤土と釉薬~

三浦小平二先生は世界三大美術館お買上げ、「世界の三浦青磁」と高く評価された。佐渡金銀山・無名異赤土の小平窯長男。東京芸術大学彫刻科で学び、卒業後は父親の「生半可な芸術家になるな、腕を磨き職人になり切れ」との命を受け、京都の陶磁工場、多治見の試練場で釉薬を修めた後、東京芸大・陶磁科の無給副主から教授に。平成9年青磁で初の重要無形文化財保持者・人間国宝に認定された。本人の熱情研鑽は当然ながら、有名窯元育ちの感性と東京育ちの竹子夫人との相乗効果の開花、結実であろう。

都下国立市の「ママの森幼稚園」の五味(旧姓)竹子理事長は、絵の先生に東京芸大生を採用、これが三浦先生とのご縁の始まり。子供たちが明るく元気に、履物を揃えさせる等、三浦先生の教育力、人間力強化に理事長も感化された。お絵描きの日を人気給食カレーとした。三浦先生いわく「俺だけ豚肉が多い、俺は豚肉で釣られたのよ(笑い)」に対し、奥様は「いきなり無言で医者の健康診断書を突き付けられたのよ!」と微笑み語る。天才と才女の恋愛エピソードは、まさにユニーク。

前列中央 三浦先生・右端筆者
夫婦で各国へ陶磁器研究旅行に 奥様は助手

マサイ族や砂漠の真珠と呼ばれるアミール湖の透明感、異国の人々の暮らしを磁器や絵皿に挿絵や彩色の斬新性、独自性は人々を感動させ魅了した。最初の百個焼いて成功一個の青磁挑戦から研鑽持続で成功へ。幼稚園内に陶磁窯を造るなど、三浦先生第一の奥様はまさに女傑と言える。

先生ご逝去後、国立市、佐渡市、母校等に多数の作品をご寄贈。青磁データも後進に残された。

今夏、私への文面には、「戦友結婚のような私も97歳に。年上の私は生活のリードをしていたはずが、いつの間にか尊敬、飾らず正直に本質を見抜く男小平二に惚れました」、「民族性残る国々への夫婦での取材旅行は、喜びと不安の連続ながら充実感で最高でした」とありました。

最難関の青磁挑戦、ついに中国官窯超え評価も

台湾・故宮博物館の最高青磁の底拝見で、実家窯の佐渡金銀山・無名異赤土と同じに「俺もできる!!」と確信。2年の釉薬研究、彩色等で品格の透明感や際立つ独自性から「世界の三浦青磁の評価」に至った。

武士的寡黙で粋な漢。常に熱情を秘め自然体の三浦先生。
文化勲章受章者森繁久彌先生は、「本物男は、品格と哀愁!!背中に現れる」と至言。三浦先生の本物美追及姿勢にそれをいつも感じた。支える明るくチャーミングな竹子夫人の関係はまさに理想の夫唱婦随の典型だ。

心に残る言葉あれこれ

①台湾:故宮博物館の陳先生から「三浦青磁パーフェクト」と高い評価を戴き、ついに達成。感激、嬉しかった。

②東京芸大・教授退官後の人間国宝受賞者は何人かいるが、現役教授での受賞は俺が最初だ。

③益子焼人間国宝濱田庄司先生から、絵もいいと褒められ自信となった。

④信号待ち、ホーム等では最後列で待て。交差点最前列でバイクに飛ばされ大けが。生涯車イス生活は無念至極。

⑤家内には「俺は美しい作品を目指す。綺麗なこと以外は話すな。世間の煩わしさは全て処理せよ」と言っている。

「偉大な芸術とは、傑出した芸術的才能による純粋な魂の表現である」
三浦先生御夫妻に、この言葉を贈りたい。
新潟県佐渡海洋深層水(株)
顧問:大谷公一