能登半島大震災慰霊祭に参加して

会の活動報告

見竹神社萬燈会(法要)(石川県羽咋郡志賀町長田)
若波会相談役 斎藤実

例年ですと9月16日は見竹神社の萬燈祭で平成30年(2018年)からYさん(佐渡市相川出身・シンガーソングライターとして活躍中)の紹介で、私達若波会有志が佐渡民謡を奉納させて頂いており、今年もと思っていた矢先の正月早々(令和6年1月1日)の能登半島を襲った大地震は一瞬にして家族団欒の楽しい一時を奪ってしまいました。

その被害は甚大なものであり、被災者、関係者の皆様の心の傷は今も尚癒されてはいないのではないでしょうか。今年は『萬燈祭』は中止だろうなと思っていたところに『萬燈祭実行委員会』の中西光路委員長から「今回の地震で300名ほどの方がお亡くなりになりました、例年の『萬燈祭』を『萬燈会(え)』(法要)として開催したいので若波会の皆さんには佐渡民謡を奉納して頂きたいのですが」と連絡が入りました。

こんな状況の中でも『萬燈会』を開催に漕ぎ付けようとしている中西委員長、長田地区の皆さんの心意気というか勇気に感服しました。私はなにが何でも出かけよう!と一瞬思いました。

私達は日頃佐渡民謡の練習に励み、多種多様なイベントに出演させて貰っています。この様な事態の時にこそ『萬燈会』で「佐渡おけさ」を奉納させて頂き、亡くなられた方の霊を慰め、そして民謡の持つ力で長田地区の皆様を勇気付け笑顔を取り戻し、喜んでもらえば微力ですが震災支援のお手伝いにも繋がるのではないかという思いで、私達若波会有志9名は『萬燈会』へと出掛けました。

例年の『萬燈祭』(平成30年)を紹介させて頂きます。
毎年9月16日と日時は決まっています。見竹神社の境内、その周囲に手作りの竹灯籠やブリキの器に1万本程のロウソクやキャンドルに灯をともし、日が暮れるとほのかな明かりは境内や畦道をゆらゆらと照らし山の斜面では富士山、五重の塔、波の形が浮かび上がる、山の中腹には高さ三メートルの竹灯籠を背にした舞台が設けられ、幻想的な雰囲気の中を古代笛が響き、三味と胡弓の哀調漂う音色に乗って踊る「越中おわら節」に誘われ、そしてどことなく軽快感さえ感じられる五箇山の唄と踊りの中の一曲「こきりこ節」が続き、さらには地元の太鼓集団による勇壮な太鼓の響きが辺りの山々を揺るがす。その後にはいよいよ若波会の出番でした。

日本一美しい旋律を持った甚句と言われている「両津甚句」から始まり、更には格調高い「相川音頭」がそして哀愁を帯びたメロディーの「佐渡おけさ」が続き…いつしか見竹神社の夜が更けていくのです。これが今までの見竹神社の『萬燈祭』のシナリオでした。

今年の「萬燈祭」は能登半島大地震の被災者へ供養の『萬燈会』であり、私達若波会有志9名は9月16日、北陸新幹線で金沢経由羽咋駅へと向かいました。羽咋駅には14時36分に到着し迎えに来て頂いた車に乗り込み長田地区見竹神社へと直行しました。

手作りの竹灯籠、ブリキの器にロウソクやキャンドル6千本に灯りが点り始める頃に厳かな空気の中を中西光路実行委員長のお祈りが始まりました。そして時間も過ぎ辺りが暗くなり明々とロウソクが輝き始めると奉納芸能へと続きました。

私達若波会はロウソクやキャンドルの灯りがゆらめく仄暗い中を「佐渡おけさ流し」で長田地区の皆様の待つ舞台へと進み、佐渡民謡3曲(両津甚句、相川音頭、佐渡おけさ)を奉納させて頂きました。踊る頭上には煌煌と中秋の名月も顔を出し、掲題の山の斜面には『祈りの文字』がくっきりと浮かび上がっていました。

私達の後には『おわら風の盆』の舞が続き、地元の歌手による山中節、他の地元民謡が朗朗と響き渡り、さらには幻想的な古代笛へと繋がっていき、最後はシンガーソングライターヤマトさんの名曲数曲が奉納されました。

今年は長野県からボランティアの皆様のお手伝いもあり、芸能を奉納された皆様、中西光路実行委員長をはじめ、長田地区の皆様の被災者への気持ちが何事にも替えられない『萬燈会』として納められたものと確信し、踊り終えた私達若波会9名も満足感で一杯でした。