【第51回卓話の時間】映写会『聯合艦隊司令長官 山本五十六』

会の活動報告

~人間山本五十六の苦渋を物語る映画~
三條和男氏(総務委員会委員・東京関原会会長)
日時:12月12日(火)
場所:ふれあいふるさと館(県人会館)2階ホール

冒頭、長岡出身の三條和男さんから開戦記念日(12月8日)に因んで郷里に縁のある半藤一利氏原作の映画を皆さんと一緒に鑑賞し、平和の有難さを共有したいとの挨拶が有り、映写が始まった。

『聯合艦隊司令長官山本五十六』―あらすじ―

異を唱える山本海軍次官
昭和14(1939)年、夏。
好戦ムードに盛り上がる世論を背景に日本陸軍が日独伊三国軍事同盟の締結を強硬に主張する中、海軍次官の山本五十六は敢然と異を唱える。ドイツと結べばアメリカとの戦争は必然であり、両国の国力の差を冷静に見極めていた五十六にとっては、それは絶対に避けなければならない戦いだった。そんな中、五十六は聯合艦隊司令長官に就任する。対米戦の回避を願う自らの信念と聯合艦隊司令長官としての職責の狭間で苦悩を深める五十六だったが…。
そこに早期講和という妙案に希望を見出す。どうやって戦争が始まったのか、どうして止められなかったのか、始まった戦争をどう終わらせるのか。山本はアメリカとの戦争に勝ち目はないと考えながらも、以前からアメリカを仮想敵国として戦略を練っていた。山本は1~2年ならば戦うこともできるとも考えていた。

■日本軍真珠湾攻撃を決行
昭和16(1941)年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃を決行。五十六の狙いは敵空母の撃沈にあり、早期講和に持ち込む為に全滅も覚悟の五十六。だが、日本海軍の上層部は長期戦を想定し、機動部隊を率いる南雲忠一に艦隊を無傷で帰投させよと命じる。そのために南雲は真珠湾への第二次攻撃を行わず、戦闘機を撤収させた。奇襲はアメリカ軍に打撃を与えたが、しかし、湾に空母は停泊しておらず、作戦が大成功したとは言い難い結果に終わった。また最後通牒を攻撃前に相手に伝えるよう念を押していたが、外務省の不手際により伝わったのは攻撃してから1時間後だった。
開戦から2ヶ月、東洋艦隊を破りシンガポールも陥落させたことで国民は大いに盛り上がっていたが、しかし、司令長官としての五十六の狙いは敵空母の撃沈にあったので、真珠湾攻撃を失敗だと思っていた。
昭和17(1942)年5月、五十六が坐乗の戦艦大和はミッドウェー島を目指し出撃。そんな中、アメリカ空母ホーネットの艦載機による日本本土への空襲が開始された。五十六は連合艦隊による最後の決戦を計画し、勝利による講和に望みをかけた。

■山本元帥敵機に撃墜され戦死
昭和18(1943)年、ラバウル基地航空部隊、第3艦隊全空母艦載機を総動員してニューギニア南東部に対して撃滅のため出撃。山本五十六は周囲の反対があるも前線の視察に向かうがブーゲンビル島上空でアメリカ敵機に撃墜され終戦の日を待たずに戦死した。その2年4ヶ月後に日本は降伏による終戦を迎えた。一面瓦礫となった都心に呆然としながら、玉木宏さん演じる新聞記者・真藤利一が自らに問いかけます。「この国は何を間違えたのだろう…この国は何処で間違えたのだろう…。」
令和の今日になって改めて顧みると、大衆を煽るマスコミ、どこか他力本願な人たち、外交に弱い政府…と、そこにいるのは、何ら現代の我々と変わらない日本人だ。そしてその彼らを通じて、自分たちの国を自ら守る手段を有していたその時代の方が、アメリカ頼りの今よりは良かったのではないか、作者の強いメッセージが伝わってくるようだ。