暮らしのヒント

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大河津分水通水100周年によせて(3/3)

長善館とは 凡そ30年の間、燕市に住んだ良寛は、水禍と重税にあえぐ農民を見て、何とか救うことは出来ないものかと考えます。その思いを受けて開学した長善館は、代々革新的な教育を行い社会に役立つ実践型の人物を育てました。天保4年鈴木文臺(ぶんたい...
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大河津分水通水100周年によせて(2/3)

ついに大河津分水の建設がスタート!  大河津分水建設の請願は、寺泊(長岡市)の本間屋数右衛門が江戸幕府へ請願したものが始まりとされています。享保15年頃のことでした。以降、先人たちは大河津分水の必要性を訴え続けますが、なかなか建設にはいたり...
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前川 國男・建築家

前川 國男(1905~1986)氏は、明治8年5月14日、新潟市中央区学校町通2番町で生まれる。1928年(昭和3年)東大建築科を卒業、渡仏してル・コルビュジェに師事。戦後モダニズム建築の旗手として、日本の建築界をリードした。
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大河津分水通水100周年によせて(1/3)

大河津分水は通水100周年を迎えます。  良寛さまをして、「この世に神様がいるなど疑いたくなる」と言わしめた水害。それでも越後平野の人々は、平穏な生活を諦めませんでした。今この地で平穏に暮らすことができるのは、大河津分水を実現してくれた先人...
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松岡 譲・小説家

古志郡石坂村(現・長岡市)の真宗大谷派、松岡山本覚寺に父善淵、母ルエの長男として生まれる。名は善譲(後に自ら改名)。明治37 年長岡中学校(現・長岡高等学校)に入学、後に詩人となる堀口大学は5年間同じクラス。明治43年第一高等学校(現・東京大学教養学部の前身)文科に進学。同級には芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、成瀬正一らがいる。
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佐渡島の金山はユネスコの舞台へ (3/3)

世界遺産登録への課題  登録に向けての今後の課題は2つです。  1つは、ユネスコの諮問機関(イコモス)が、佐渡島の金山の現地調査を踏まえて出す勧告です。勧告は、「記載」「情報照会」「記載延期」「不記載決議」の4種類です。イコモスは、遺産の価...
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佐渡島の金山はユネスコの舞台へ (2/3)

予算委員会で政調会長が質問  1月24日衆議院の予算委員会で高市自民党政調会長が「地方から受けている要望」として、「佐渡島の金山」について「1年に1件」の貴重な機会であり、必ず推薦すべきと要点を諄々と説いた。  更に、28日午前の予算委員会...
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佐渡島の金山はユネスコの舞台へ (1/3)

注目引いた「佐渡島の金山」  昨年12月末から2月初めにかけ、佐渡島の金山は国民的課題として注目を集めた。 推薦候補に選定されたが  佐渡島の金山を世界遺産にしようと97年に島内有志が「考える会」を立ち上げ、以来20年以上に渡り関係者が努力...
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富岡 惣一郎・画家

富岡 惣一郎(1922-1994)は上越市高田生まれ。雪が作る白く美しい景色を幼い頃から見て育ち、それが原風景として心に刻まれている。試行錯誤して自ら開発した白油絵の具「トミオカホワイト」と、刀鍛冶に特注した長大ペインティングナイフで描いた純白の雪景色は清澄な輝きを秘めた独特の世界がある。
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漂泊の俳人 井上井月『井月句集』 復本一郎編

井上井月(いのうえせいげつ)(1822〜1887)は、江戸末期文政5年、長岡で生まれた。本名・井上克三。武士の出(長岡藩)で、廃藩後、一家が帰農したといわれている。天保10年(1839)、18歳で江戸に出て、以降、北は象潟から、西は明石まで漂泊、行脚の生活を送る。そして、生涯、松尾芭蕉の「侘びの俳諧の世界」を求めて、野ざらしを心に一所不在という絶対自在の境涯を自らに課して、漂泊の中に身を晒す。
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中田 瑞穂と「中田みづほ画集」

中田先生は島根県津和野の出身で東京帝国大学医科大学で学び、欧米へ2度の遊学、新潟医科大学(現・新潟大学医学部)教授として、脳神経外科体系の基礎を作り、近代化に力を注ぎました。第1回日本脳・神経外科研究会(現・日本脳神経外科学会)を新潟で開催。日本初の脳神経外科の専門講座を新潟大学に開設しました。
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令和3年1月12日 日本スキー発祥110周年 

(「広報上越」1月号・特集より抜粋)  明治44(1911)年1月12日、軍隊の視察のために来日した当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人・レルヒ少佐により、高田において日本で初めての本格的なスキー指導が行われました。  指導を受けた陸軍...