絆己楼・大野家表門(大野邸敷地内)(聖籠町)

にいがた情報

 新発田藩の儒学者 大野敬吉(号・耻堂)は丹羽思亭に学び、1853年諏訪山新田に私塾 絆己楼を開きました。階上の10畳2間を教室、階下の12坪半の板間を剣道場としていました。幕末の塾舎のほとんどが失われている今日、志篤い多くの若者を育てた貴重な建物として大野家が大切に保存しています。表門は門幅6m の木造瓦葺き屋根の四脚門で、元水原代官所の門で明治中期に建てられ絆己楼と共に町の有形文化財に指定されています。
 長男の誠も儒学者。太政官権大書記官、長野県令、曾孫の璋五は東京高等裁判所長官を務めました。この絆己楼からは『北越詩話』の著者である阪口仁一郎など優れた人材が数多く輩出され、後に様々な分野で活躍しています。
※一般公開はしておりません。

問い合わせ先
聖籠町 社会教育課
☎0254-27-2121
(会報誌:2022年08月)