時間の早さに驚く

暮らしのヒント

東京鹿瀬会 田辺 幸雄

 広報委員になって、三年の月日が経っていた。昨年の四月からは市町村あれこれの下越欄を担当している。私は、広報委員になった時、関係者は『新潟懸人』に原稿を出してはならないと決めていた。
 『新潟懸人』は、会員の人に書いて頂く処であると思っている。その、私が禁を破って書いているのは、屁理屈ではあるが東京鹿瀬会の会員としての立場から書いている。こうやって、紙面を埋めていく作戦でもある。
 そう簡単に多くの方のように気の利いた文章が書けるものでない。
 今、私の最大の関心事は、『新潟懸人』が多くの人に心待ちにされる“読み物”になったら良いなあと、期待を込めてと思う事である。
 『新潟懸人』が配達される事を待ちわびる会報誌でないのであれば、それは悲しい事である。全て、広報委員の力の及ばぬところ、何てかっこ良く言ってみても始まらない。
 要は、『新潟懸人』は多くの人に読まれて初めて存在価値があると認識している。その為には原点に立ち返り、会員の為、故郷の為に役立つ紙面作りを心掛ければ良い筈だと思う。
 会員情報・故郷情報を投稿歓迎でリアルタイムに紙面へ反映させることだと思う。
 私の担当している、市町村あれこれの下越欄では、毎月二件掲載したい記事を決めたら、該当する市町村の担当者に掲載主旨を説明し、記事掲載の許可と必要な写真を依頼して、そこの市町村の関係者と共に、紙面作りをする様に心掛けている。
 そうすることで、故郷からの発信に共有する連帯感を大切にしている。
 その他に、私は元勤め先のOB会で三か月に一度発行の会員さん宛の季刊誌を編集から携わっている。
 平均年齢七十五歳の会では、健康に関する話が多くなる。それはやむを得ないが、会員相互の音信連絡のような面もある。その中で、気に入っているのが、新潟支部からの寄稿で、『自治会長シリーズ』が有る。自治会長の日頃の活動とボヤキが綴られている。これが、その人の日常と人間味が溢れていてとても面白い。
 多くの人が、三か月を心待ちにしている。
 この編集作業を『新潟懸人』またOB会それぞれに活用出来るよう日々ヒントを見つけようと足掻いている自分を感じながら、生活している毎日がとても楽しい。
 『新潟懸人』においても、会員さんと故郷の人たちの寄稿による明日への希望と発展(?)に繋がるシリーズ物が出来ると、多くの会員さんが、『新潟懸人』を毎月待ち焦がれる様になるのではと、一人妄想しては楽しんでいる。夢から出た真となる日が来るかは分からないが、夢と希望を持って日々生活するのは、悪くはないと思っている。
 私の育った旧鹿瀬町は、明治の中頃まで、会津であった。越後と会津両方の優れた文化を持っている(?)新潟県でも異質な環境にあった土地柄か変わり者が多いようだ。(あくまでも個人的感想)。
 世の中を新しい世界へ導く原動力の大きな部分が、変わり者が担っているようだ。東京新潟県人会の中で私は、変わり者のような気がしている。でも、何かを成し遂げるような資質を備えているとは、とても思えない。
 でも、故郷との絆は今だからこそ大切だ。故郷を出て幾久しく東京で育った文化の香り高い(?)東京新潟県人会の私たちが、故郷に恩返しをする時は、今なのではないか。
 私も、微力ながらそのお手伝いをしたい。『新潟懸人』に全力を注ぐ覚悟があると、力を入れてやるほどの事もないので、ぬらりくらりやって行きたいと思っている。地味にこつこつと。

(2016年12月1日 記:東京鹿瀬会 田辺 幸雄)