2021年10月3日 佐渡市真野ふるさと会館多目的ホール
令和3年は、「承久の乱」で順徳上皇が佐渡に配流されてから800年の節目にあたります。上皇のお人柄やご功績を知ってもらおうと市民有志による実行委員会主催の式典が行われました。
順徳上皇の御歌一首
これほどに身の温まる草の実を
ひえの粥とは誰かいふらむ
上の写真は、順徳院さまと地元の人々との交流を伝えるゆかりの碑。順徳上皇がこの地の漁師仙右衛門家の老婆がすすめた稗の粥に箸をとられて詠まれたとされる御歌です右の写真は、順徳院さまと地元の人々との交流を伝えるゆかりの碑。順徳上皇がこの地の漁師仙右衛門家の老婆がすすめた稗の粥に箸をとられて詠まれたとされる御歌です。
順徳上皇のご功績を顕彰する記念式典
10月3日、佐渡市真野ふるさと会館多目的ホールで開かれた記念式典にはおよそ140人が出席し、島の歴史と島民の中で生き続ける順徳上皇のご生涯をたどる講演や雅楽の演奏が行われました。
式典ではまず、数え年14歳でご即位し、上皇となり「承久の乱」に敗れ、鎌倉幕府によって佐渡島に流され、在島22年、46歳で崩御されたご生涯をビデオ上映しました。
基調講演は山本修巳さん(実行委員長・郷土史家)が行い、順徳上皇が天皇の行動規範をまとめた「禁秘抄」を解説。島で詠んだ歌を紹介し、帰京を願いながら島でお亡くなりになられた上皇のご生涯の日々をお話しされました。
雅楽演奏(羽茂雅楽会)
記念講演で中本真人さん(文学博士・ 新潟大学人文学部准教授)は、上皇が宮中の恒例や神事、心得などを記した、著作「禁秘抄」に焦点をあて「禁秘抄が、江戸時代の『禁中並公家諸法度』に引用されている。順徳天皇は『学問』と『管楽』『和歌』を重視していた」と述べました。
また、上皇の御歌が「小倉百人一首」の最後を飾ったことから、実行委員会は小、中、高校、一般から短歌を募集し、この日の式典で約600首の応募の中から優秀作品を選び表彰しました。
稗の粥ふるまい
上皇が 佐渡島 に上陸された際、島民からふるまわれたと伝わる「稗(ひえ)の粥(かゆ)」が会場で再現され、参加者は味わいながら思いを巡らせました。訪れた人は「歴史がよみがえったようで良かったです」「順徳上皇の思いが今でも佐渡の人たちの心に生きているかと思うと感動しました」と話していました。
また、佐渡出身者でつくる首都圏佐渡連合会の会員20人も参加。山本顕男会長は「佐渡に優秀な歌人が多いのも順徳院のご功績ではないでしょうか」とお話しされました。
一方、実行委員会の代表者らが上皇が静かに眠る「真野御陵」などを参拝。 今もなお島民から慕われている上皇をお偲びしました。
真野御陵を参拝
主催:順徳上皇佐渡ご遷幸800年記念事業実行委員会事務局
後援:新潟県・佐渡市・新潟県教育委員会・佐渡市教育委員会・(公社)新潟県観光協会・
(一社)佐渡観光交流機構